摩訶般若波羅蜜経習応品第三
八、般若波羅蜜を行ずるとき念を起こさないことを説く
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。
不作是念。 我以如意神通飛到東方。供養恭敬如恒河沙等諸佛。南西北方四維上下亦如是。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるとき、このような考えは起こさないのである、 『私は如意神通によって東方に飛んで行き、ガンジス川の沙ほどもある諸々の仏を供養し、恭敬しよう。南・西・北方・四維・上・下もまたこのようにしよう』 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。不作是念。 我以天耳聞十方諸佛所說法。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるとき、このような考えも起こさないのである、 『私は天耳によって十方の諸々の仏が説く理法を聞こう』 |
| 不作是念。 我以他心智知十方眾生心所念。 |
このような考えも起こさないのである、 『私は他心智によって十方の衆生の心の念じていることを知ろう』 |
| 不作是念。 我以宿命通知十方眾生宿命所作。 |
このような考えも起こさないのである、 『私は宿命通によって十方の衆生の宿命がどうなるかを知ろう』 |
| 不作是念。 我以天眼見十方眾生死此生彼。 |
このような考えも起こさないのである、 『私は天眼によって十方の衆生が、こちらで死に、あちらで生まれるようすを見よう』 |
| 舍利弗。菩薩摩訶薩如是行。是名與般若波羅蜜相應。亦能度無量阿僧祇眾生。 | 舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように行ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 また数えることもできない阿僧祇ほどの衆生を救い上げることができるのである。 |
| 舍利弗。菩薩摩訶薩能如是行般若波羅蜜。惡魔不能得其便。世間眾事所欲隨意。 | 舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように般若波羅蜜を行ずることができれば、悪魔はその便宜を得られず、世間の多くの望むことは意志に随うのである。 |
| 十方各如恒河沙等諸佛。皆悉擁護是菩薩。令不墮聲聞辟支佛地。 四天王天乃至阿迦尼吒天。皆亦擁護是菩薩不令有閡。 是菩薩所有重罪現世輕受。 |
十方の各ガンジス川の沙ほどもの諸々の仏は、みなことごとくこの菩薩を擁護し、声聞・辟支仏の境地に堕落させることはないのである。 四天王天あるいは阿迦尼吒天も、みなまたこの菩薩を擁護し妨げをあらしめないであろう。 この菩薩は、そのいる場所での重罪は、現世では軽く受けることになろう。 |
| 何以故。 是菩薩摩訶薩用普慈加眾生故。 舍利弗。菩薩摩訶薩如是行。 是名與般若波羅蜜相應。 |
なぜであろうか。 この菩薩摩訶薩は、広く行き渡る慈しみを衆生に加えるからである。 舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように行ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。 疾得諸陀羅尼門諸三昧門。 所生處常値諸佛。 乃至阿耨多羅三藐三菩提初不離見佛。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、 速やかに諸々の陀羅尼門・諸々の三昧門を得て、 その生まれるところでは常に諸々の仏に出会い、 さらに阿耨多羅三藐三菩提の初めまで仏にまみえることを離れないのである。 |
| 舍利弗。菩薩摩訶薩如是習應。 是名與般若波羅蜜相應。 |
舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように習い応ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不作是念。 有法與法若合若不合若等若不等。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、次のような考えを起こすことはないのである。 『事物は事物と例えば合致し、例えば合致しない、 例えば等しく、例えば等しくない』 |
| 何以故。 是菩薩摩訶薩不見是法與餘法。 若合若不合。 若等若不等。 舍利弗。菩薩摩訶薩如是習應。 是名與般若波羅蜜相應。 |
なぜであろうか。 この菩薩摩訶薩は、 この事物がその他の事物と 例えば合致し、例えば合致しないと、 例えば等しく、例えば等しくないと見ないようにすべきである。 舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように習い応ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。不作是念。 我當疾得法性若不得。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずるとき、次ような考えを起こさないのである。 『私はまさに、速やかに事物の本性を〈実体として〉認知し、あるいは〈実体として〉認知しない』 |
| 何以故。 法性非得相故。 舍利弗。菩薩摩訶薩如是習應。 是名與般若波羅蜜相應。 |
なぜであろうか。 事物の本性には、〈実体として〉認知されるという姿かたちがないからである。 舎利弗、菩薩摩訶薩がこのように習い応ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不見有法出法性者。如是習應。 是名與般若波羅蜜相應。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、事物は事物の本性から出ずると見ない。このように習い応ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不作是念。 法性分別諸法。 如是習應。 是名與般若波羅蜜相應。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、次ような考えを起こさないのである。 『事物の本性は諸々の事物を分別する』 このように習い応ずる、 これを般若波羅蜜と相応すると呼ぶのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。不作是念。 是法能得法性若不得。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずるとき、次ような考えを起こさないのである。 『この事物は事物の本性を〈実体として〉認知でき、あるいは〈実体として〉認知できない』 |
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何以故。 |
なぜであろうか。 |
著作 アルキメデスの館