摩訶般若波羅蜜経往生品第四
七、菩薩摩訶薩の六神通について説く(一)
舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。 修神通波羅蜜。以是神通波羅蜜受種種如意事。 |
〈如意神通〉 舍利弗、ある菩薩摩訶薩は、般若波羅蜜を行ずる時、 神通波羅蜜を修業し、この神通波羅蜜によって、種々の如意の力(如意神通、六神通の第一)を受けるのである。 |
| 能動大地 變一身爲無數身(欠「。」) 無數身還爲一身。 隱顯自在。 山壁樹木皆過無閡 如行空中履水 如地陵虛如鳥。 出沒地中如出入水。 身出煙焰如大火聚。 身中出水如雪山水流。 日月大コ威力難當而能摩捫。 乃至梵天身得自在。 亦不著是如意神通。 神通事及己身皆不可得。 |
大地を動かし、 一身を変じて無数の身体となり、 無数の身は還って一身となり、 隠れるも顕れるも自在、 山壁・樹木いずれも通り過ぎるときには妨げるものなく、 空中を行くように水面を踏む、 地面のように虚空を凌ぐこと鳥のよう、 地中から出没するのは、水が出たり入ったりするよう、 身から煙焰を出すのは、大きな火の集まりのよう、 身中から水を出すのは、雪山の水流のよう、 日月のような大徳の威力は対抗し難く、磨き上げ、 さらに梵天に生まれるまで身体は自在を得られるが、 またこの如意神通に執着することはない。 神通力及び己の身体はみな〈実体として〉認知することはできないからである。 |
| 自性空故。 自性離故。 自性無生故。 不作是念。 我得如意神通。 除爲薩婆若心。 如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。 得如意神通智證。 |
自らの本性は空であるから、 自らの本性は離れているから、 自らの本性は生ずることがないから、 次のようには思わないのである、 『私は如意神通を得た』と。 ただし薩婆若(サルヴァジュニャーナ:一切智)を自覚する心は除く。 このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、 思うがままの神通を自覚できる確証を得るのである。 |
是菩薩以天耳淨 過於人耳。 聞二種聲天聲人聲。 亦不著是天耳神通。 天耳與聲及己身皆不可得。 |
〈天耳神通〉 この菩薩は天耳(六神通の第二)は浄らかで、 人の耳〈の聴力〉を行き過ぎるので、 二種の声、天声と人声とを聞くことができるが、 またこの天耳神通に執着することはない。 天耳と声及び己の身体はみな〈実体として〉認知することはできないからである。 |
| 自性空故。 自性離故。 自性無生故。 不作是念。 我有是天耳。 除爲薩婆若心。 如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。 得天耳神通智證。 |
自らの本性は空であるから、 自らの本性は離れているから、 自らの本性は生ずることがないから、 次のようには思わないのである、 『私はこのとおり天耳がある』と。 ただし薩婆若を自覚する心は除く。 このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、 天耳神通を自覚できる確証を得るのである。 |
是菩薩。如實知他眾生心 |
〈他心神通〉 この菩薩は、ありのままに他の衆生の心を知るのである。(他心神通、六神通の第三) |
| 若欲心。如實知欲心。 離欲心。如實知離欲心。 |
たとえば、貪欲の心はありのままに貪欲の心と知り、 貪欲を離れた心はありのままに貪欲を離れた心と知る。 |
| 瞋心。如實知瞋心。 離瞋心。如實知離瞋心。 |
怒る心はありのままに怒る心と知り、 怒りを離れた心はありのままに怒りを離れた心と知る。 |
| 癡心。如實知癡心。 離癡心。如實知離癡心。 |
愚かな心はありのままに愚かな心と知り、 愚かさを離れた心はありのままに愚かさを離れた心と知る。 |
| 渴愛心。如實知渴愛心。 無渴愛心。如實知無渴愛心。 |
激しく執着する心はありのままに激しく執着する心と知り、 激しく執着することのない心はありのままに激しく執着することのない心と知る。 |
| 有受心。如實知有受心。 無受心。如實知無受心。 |
感受することの有る心はありのままに感受することの有る心と知り、 感受することの無い心はありのままに感受することの無い心と知る。 |
| 攝心。如實知攝心。 散心。如實知散心。 |
集中する心はありのままに集中する心と知り、 散漫な心はありのままに散漫な心と知る。 |
| 小心。如實知小心。 大心。如實知大心。 |
〈自分のことだけを考える〉小さな心はありのままに小さな心と知り、 大きな心はありのままに大きな心と知る。 |
| 定心。如實知定心。 亂心。如實知亂心。 |
落ち着いた心はありのままに落ち着いた心と知り、 乱れた心はありのままに乱れた心と知る。 |
| 解脫心。如實知解脫心。 不解脫心。如實知不解脫心。 |
〈あらゆる束縛から〉解脱した心はありのままに解脱した心と知り、 解脱していない心はありのままに解脱していない心と知る。 |
| 有上心。如實知有上心。 無上心。如實知無上心。 |
たてまつる心はありのままにたてまつる心と知り、 たてまつることの無い心はありのままにたてまつることの無い心と知るのである。 |
| 亦不著是心。 | またこの心に執着することはない。 |
| 何以故。 是心非心相不可思議故。 自性空故。 自性離故。 自性無生故。 不作是念。 我得他心智證。 除爲薩婆若心。 |
なぜであろうか。 この心は心ではなく、姿かたちを思いはかることができないから、 自らの本性は空であるから、 自らの本性は離れているから、 自らの本性は生ずることがないないから、 次のようには思わないのである、 『私は他心を知ることができるという自覚の確証を得た』と。 ただし薩婆若を自覚する心は除く。 |
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如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。 |
このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、 他心神通を自覚できる確証を得るのである。 |
著作 アルキメデスの館