摩訶般若波羅蜜経往生品第四
九、菩薩摩訶薩が一切種智を得ることについて説く
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住檀那波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空不生慳心故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、檀那波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、物惜しみする心を生じることがないからである。 |
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住尸羅波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空罪不罪不著故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、尸羅波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、罪・不罪に執着することはないからである。 |
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住羼提波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空。不瞋故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、羼提波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、いからないからである。 |
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住毘梨耶波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空。身心精進不懈怠故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、毘梨耶波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、身心の精進を怠らないからである。 |
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住禪那波羅蜜。淨薩婆若道 畢竟空。不亂不味故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、禅那波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、乱れず味わわないからである。 |
| 舍利弗。有菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住般若波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空。不生癡心故。 |
舍利弗、ある菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、般若波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄める。
究極的に空であり、おろかな心を生じることがないからである。 |
| 如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜時。住六波羅蜜淨薩婆若道 畢竟空故。 不來不去故。 不施不受故。 非戒非犯故。 非忍非瞋故。 不進不怠故。 不定不亂故。 不智不愚故。 |
このように舍利弗、菩薩摩訶薩が般若波羅蜜を行ずる時、六波羅蜜に留まり薩婆若の道を浄めるのである。
究極的に空であり、 来ず、去らないから、 施さず、受けないから、 戒でなく、犯でないから、 忍耐でなく、いかりでないから、 進まず、怠らないから、 定らず、乱れないから、 智くなく、愚かでないからである。 |
| 爾時菩薩摩訶薩。 不分別布施不布施。 持戒犯戒。 忍辱瞋恚。 精進懈怠。 定心亂心。 智慧愚癡。 不分別毀害輕慢恭敬。 |
その時、菩薩摩訶薩は、 布施・不布施、 持戒・犯戒、 忍辱・瞋恚、精進・懈怠、 定心・乱心、 智慧・愚痴を分別せず、 毀害・軽慢・恭敬を分別しないのである。 |
| 何以故。 舍利弗。無生法中 無有受毀者。 無有受害者。 無有受輕慢恭敬者。 |
何故であろうか。 舎利弗、生ずる事のない事物の中に、 そしりを受ける者があることはなく、 害を受ける者があることはなく、 軽慢・恭敬を受ける者があることはないからである。 |
| 舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜
得如是諸功コ。聲聞辟支佛所無有得。 是功コ具足成就眾生淨佛國土。 得一切種智。 |
舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じ、このような諸々の声聞・辟支仏が得るということのない功徳を得て、 この功徳を具足し、衆生を救い上げ、仏のいる国土を浄め、 一切種智を得るのである。 |
| 復次舍利弗。菩薩摩訶薩。行般若波羅蜜時。 一切眾生中生等心。 一切眾生中生等心已 。 得一切諸法等。 得一切諸法等已。 立一切眾生於諸法等中。 |
また次に舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行ずる時、 一切の衆生を等しく観る心を生じ、 一切の衆生を等しく観る心を生じたことによって、 一切の諸々の事物は等しいと〈実体として〉認知しないし、 一切の諸々の事物が等しいと〈実体として〉認知しないしたことによって、 一切の衆生を諸々の事物の等しい中に置いて観るのである。 |
| 是菩薩摩訶薩。現世爲十方諸佛所愛念。 亦爲一切菩薩一切聲聞辟支佛所愛念。 是菩薩在所生處。 眼終不見不愛色。 乃至意不覺不愛法。 |
この菩薩摩訶薩は、現世で十方の諸々の仏が愛しいと思うようになり、 また一切の菩薩、一切の声聞・辟支仏が愛しいと思うようになるであろう。 この菩薩はそれぞれ生まれるところにおいて、 眼は最後まで物質的存在を見ることなく愛着することがない、 さらにこころは事物を認めず愛着することがない。 |
| 如是舍利弗。菩薩摩訶薩行般若波羅蜜。 不減於阿耨多羅三藐三菩提。 |
このように舎利弗、菩薩摩訶薩は般若波羅蜜を行じ、 阿耨多羅三藐三菩提を減ずることはないのである」 |
著作 アルキメデスの館